そっとあけてみる

shio_nin2006-01-30

いつも拙い日記を見にきてくださりありがとうございます。
(あとはてな検索でいらした方は、はじめまして。偶然の確率をかみしめて)


いつも自己まんな地球に優しくない2バイトテキストをたれ流しているここですが
今日はちょっと犬に噛まれたと思ってお時間あったら話を聞いてあげて下さい。
なんかひとりで夜いるといろんなことが溢れてしまいそうで
文字や言葉にしていかないと
(明日になったらまたうわーってなるんだろうけどな)



祖父が今日午前10時に永眠しました。
先月90歳の誕生日祝いをしたばかりでした。
いつもはそんなはでなことはしたがらないんだけど、大きい数の節目だしと
ケーキをちょっとだけうれしそうに笑って食べたんだそうです。


背もしゃんっとまっすぐで
いつも短く白髪を刈りそろえてて
まるっとしたぼうず頭がとってもキュートで
牛乳とあんぱんが好物で
お酒もたばこもしないし
昔の人が使うお膳でご飯を食べて、そこに乗らない量は食べないような
そんな慎ましくてまじめでやさしい自慢のおじいちゃんでした。


お金を借りにきた人が返さなくても、しかたないときにしないような
ひとだったそうです。
同じ市内にすんでるのに最近は年に一・二回くらいしか顔を見せなかったけど
いつでもちっちゃいかおをくしゃっとさせて笑って私の名前を呼んでくれました。
そうだ、まだ小さかった弟がガシャポンにはまって、1000円札より100円玉に喜ぶのを知ると
次にはわざわざビニール袋一杯の100円玉を用意して待っててくれたっけ。



ほかにもいろいろあるんだけど
これをどこかの誰かが読んでくれて
その間いっしゅんだけでもその人の中に
イメージでもいいからおじいちゃんの姿が生き返ったなら
ちょっとうれしいなってだけなんです。
人の不幸は共有できないと分かっているのに強要しちゃってごめんなさい。
でも慰めのコメントとかいらないので。
よんでくれただけでうれしいです。ありがとうございました。



あと、もしも読んでくれた方の頭の中に誰か思い出した人がいたら
いつでもいいやと思わずに、その人と会ってほしいなと思います。
おせっかいですが、ほんとに。



ここからは日記
あと入院したのは祖父だけと聞いて家に戻ったら
弟も入院していてびっくりだ。
なんでもウィルスが脊髄に入って炎症を起こしたとかで一時は下半身が麻痺して歩けなかったらしい。
せっかく1月から新しい職場に移ったのに、1か月くらい入院するかもとかですぐ辞めることに・・・。
また落ち込んでないといいんだけどな。
職場でトラブルがあっても、痛めつける側は元気に仕事してて
神経が繊細な方がこうして体悪くして結局職場も去ってしまうことになるというのは
自然の摂理なんだろうか。なんだか切ないなぁ。(身内びいきは許して下さい)


病院をはしごして弟を見舞った後、祖父のところへ。
同じ病院の廊下を歩いてても、治るためにここにいる人と、
分からない人だと、こうも気分も景色の見え方も変わるものかと当たり前のことに驚く。
おなじようなリノリウムの床。同じような消毒液のにおい。なのに。


あまりじっくり見ることもなかったから
昨日病室で初めてよく見たおじいちゃんの頭はやっぱりまるくてコンパクトでキュートで。
髪の毛はまだ黒いとこだってあるし、
頬もリンゴみたいにつやっと張りがあって、いつもどおりだったのに
酸素マスクがあるのと血管が浮き出るようにくるしそうに呼吸しているのだけが違うだけで。
いつも元気な姿しか見てなかったので、別の知らないよそのおじいちゃんみたいではっとなる。
ましてやいつも一緒にいた人たちは、ほんの数日前は自分でさくさく歩いていたのを知ってるから
あまりの変わりように、ただでさえのほほんとした性格のお母さんたちみんなは未だに嘘でしょ?という感じ。
お医者さんにいきなり「延命措置をしますか」とか言われても。
それ何語ですか?日本語?いみわかんない。
というか毎月定期検診に行ってたのにいまさら癌ってどうゆうことなんだろう。
しかも老人がこんな数日で細胞分裂もあんま起きないだろうし、症状悪くなるか?
さっきはおちついたから一旦家に帰っていいってたのに!「今夜が危ない」と家に着くなり
とんぼ返りで呼び戻され。
なんだかせっかくじゅうぶん長く生きて「もういいでしょ」な年でも
なんだか最後にだまされたようなもやもやがのこる。
90歳だからもうそろそろいいでしょ?的な診察をしてたんじゃなかろうかと言う気も。
あれからお母さんは一晩中寝ないでいたのだろうな。今も眠れないんだろうな。
夜が明けて私は仕方なく会社に来てしまったが、連絡がやっと来たのが夜8時。
それどころじゃなかったんだろうけど、もっと早く知らせてくれてもいいのにな。
朝の10時って私北千住乗り換え辺りで、一瞬おじいちゃんのこと忘れて
座る席のことばかり考えてたんじゃないだろうか。



もしも、人が死んできらりと光る一筋の星になってくと言うのがほんとなら
昼間のそんな頼りない星の光なんて、ただでさえちゃんと待ち構えてないと見えないのに。
上からおじいちゃん電車を見下ろしてて「しょーがないなぁ」とか思ってたりすんだろうか。
最後までかわいさのない孫でほんとにごめんなさいですよ。



わたしもみんなも絶対おじいちゃんは100まで元気でぼけずにいてくれるものと疑ってなかったから。
わたしもまだ大丈夫だろうといろんなことを延期してしまってたのに
(わたしは初孫だからなぁ、ほんとはいろいろと先陣きらないといけなかった)
お正月も家族で温泉に行ってしまって、実はおじいちゃんには会わなかった。
春にまた会えるからいいや、くらいで。
なんでそれくらい、どうせ朝寝坊してたのに、できなかったんだろう。
親孝行したい時には〜ってよく言い過ぎて慣れちゃった格言だけど
ほんとにその通りだよなぁと思う。昔の人はよくいったもんだ。



おじいちゃん自身は「99歳までは生きるよ」って言ってたんだって。
100歳の大台を言わなで一歩手前にしちゃうあたり、おじいちゃんらしいなぁって思う。
なんだか、入院してからたった10日でいってしまって
まるでみんなに迷惑をかけないように急いで向こうに行ってしまった気がする。
せめて最後がくるしくなかったならいいのだけどな。
昨日はもう目は開いているけどぼんやりとしていて
私だと分かってくれたのだろうか。
薄く開いた目がちょっと涙でにじんだように見えたのは
わたしの視界がぼやけたせいなんだろうか。